20代のわたし、30代のわたし、心理学に出会う前のわたしは、「ケッコンしたい。」って、言うことじたいが、恥ずかしかった。
しぜんな流れで、誰かとお付き合いし、
「結婚して欲しい。」
といわれない私、も恥ずかしかった。
恥じていました。
(これは根深かったです。)
「なにか足りていないわたし。」だから、相手はそう思わないんだろう。
そうおもってました。
だから、お付き合いしているひとへ、言い出すことじたいができませんでした。
もちろん、相手の事情があります。
でもあんまりに「わたしにどこか悪いところがある」と思いすぎていました。
ですので相手の事情を理解することもむずかしかったです。
一所懸命に働いていたら、「おとこの人と同じように」していないといけなかった。
(そんなことないんですけどね。じぶんなりに、誰もがやっているはずなんですけどね。)
「ケッコンしたい。」ということで、なにやら負けている感じになるともおもってた。
笑われる、ともおもっていました。
「あなたが?(くすっ)」って。
そんな全てが、結婚している人たちにはない世界なんだ、と思っていました。
キラキラしてて、じぶんとは違う世界なんだとおもってました。
まっすぐ、「いいなぁ!」なんて、おもえませんでした。
「ぜんぜん違うんだ、わたし、もっと頑張らないといけないんだ。」
そう、おもってました。
わたしがする家事の量は、ふたりになったらふたりぶん。
子どもがひとりいたら、3人分。
お相手のご両親が居たら、5人分。
だから、働く量は、今の2倍、3倍、5倍になる。
そう、おもってました。
(男性の方でしたら、「家事」を、「収入」と思われている方が多いかもしれません。)
わたしにとって、子どもを持つということは、ただの「わたしが働けない期間」でした。
ずっと、「わたしが働けない期間」用の貯金をしてました。
そもそも、ふたりでしたいこと、楽しいこと、なんて、なにも思いつきませんでした。
「わたしがすべきこと。」
でいっぱいでした。
いったい、相手をどんなひとにしていたんでしょうね。
結婚、といいつつ、ただただひとりの世界です。
でも、真剣にずっと、そうおもってたわたし。
ちょっと、頑張りすぎでした。
今の私は、そのころのわたしへ、こんなふうに声をかけてあげたい。
「頑張って頑張って、生きてるじゃないの。」
「もっと、楽しいだけでもだいじょうぶ。」
「ふたりになったら、家事は2倍になるんじゃないよ。5分の1くらいになるんだよ。」
「楽しいことって、いっぱいあるよ。」
「たいへんなことは、ふたりだと、ちょっぴりになるんだよ。」
「楽しいことは、ふたりだと、10倍くらいになるんだよ。もっとになるんだよ。」
「幸せになることに、苦労がなくてもいいんだよ。」
そんなふうに、今の私は、声をかけてあげたい。
いっぱいいっぱい、声をかけてあげたい。
ちょっぴり、気を楽にして、「ケッコンしたい。」気持ちを、たいせつにしてあげたい。
うん。
「たいせつな、だいじな、あなたの気持ちだよ。」
と、声をかけてあげたいな。
「結婚してみたいなぁ。」
そんなふうな想いは、誰かとお話しをしてみましょう。
社会に出ると、どうしても社会用のお顔を持ちます。
「わたしの気持ち。」は、どうしても引っ込めちゃう。
「たいせつな、だいじな、あなたの気持ちだよ。」
誰かにそう言ってもらうことが、とてもだいじな時期もあるのです。
あなたは、頑張って頑張って生きてるじゃないの。
やまだようこのプロフィールはこちら。
やまだようこの生きざまを、作家の大嵜直人さんに綴っていただいたものは、こちら。
やまだようこへメッセージはこちら。
やまだようこの個人セッションへは、こんなお声をいただいております。
受ける前は「怖い」だったけど、今は「できるかも」「やってみようかな」と思えてますね^^
やまだようこの普段はこちらのSNSでご確認いただけます。
普段の私は、マイ伴侶や植物の人たちや、カウンセラー仲間たちといちゃいちゃしています。
最新のいちゃいちゃを、ぜひ見にいらしてくださいねー。