一年半くらい前に私が家を買ったとき、「あ。私の人生なんだ」と、身体のどこかで感じた。
(独身で彼とも出会ってなかったころ、私はマンションを買いました。『この夏。私は、家を買いました。』)
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家と出会ったのはご縁だった。
不動産やさんとうまく繋がれたこと。
ちょうど売りに出ている物件に出会えたこと。
支払い条件の多寡や、案件の条件の見極めを身近な人にしてもらえたこと(私の勤め先の社長に右から左で見てもらった)も。
あれこれするすると、とんとん拍子に進んだ。
私は、怖くて、手に汗が出続けたまま、契約完了まで、いちにちいちにちを過ごしてた。
エゴはいろいろいうのです。
独り身に贅沢な、とか。
独り身前提でいいの?とか。
そんな中古物件に35年も支払い可能なのか、とか。
いっくらでもある。
そのときの過ごし方は、
ご縁があったらここに住む。
未来はご縁でしかわからぬ。
私にはわからぬ。することはない。
私だけで何かなるものではない。
私が無理することは何一つない。
私が欲しいのは、
私がゆったり暮らすこと。
カウンセリングをすること。
絵を描くこと。
(その頃は未だ植物に出会ってなかった)
だから、ゆったり暮らしている私で、これが欲しい。と、言うだけ。
それで充分に来るものがご縁だし得るもの。
ああ。
怖い。怖い。
頑張ることが無いのも怖い。
でもよくよく事実を見てみて、無茶はなかった。
私が心地よく今暮らしたい状況にピッタリだった。
何度も何度も、現実の事実と、過去も今も未来もご縁であることを、みつめては、何度も何度も、怖い怖いという私を抱きしめて、そのときの私は、「ここでゆったり暮らしたい。ここが欲しい」を、決めた。言った。
それなら後はご縁だ。
過程はご縁だ。
あれこれするすると、とんとん拍子に進んだ。
そして、得た後、
「あ。私の人生なんだ」と、どこかで感じた。腑に落ちた。
それは重いものじゃなかった。
どこか身が軽くなった。
じぶんでじぶんの環境を選ぶことの、自由さ、身軽さ、良さを、身体のどこかで感じた。
今までの私であったら、じぶんで選ぶということは、責任を負うということは、一人で必死で頑張ると同義だったのかもしれない。
でも、もしかして、じぶんで選ぶ、って、「こういうじぶんでいたいなー」って、欲して、決めて、言って、そのあとは、「こういうじぶん」で出会うご縁なら、ご縁があったら来るし、なかったら来ないしで、ご縁てぜんぜん一人でやってない。
楽じゃん。自由じゃん。身軽じゃん。いいじゃん。
それは、「一人でやらない」という事なのだと腑に落ちた感覚だったのかもしれない。
そこまで思えたのは、今。
パートナーと暮らし始めた、今。
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得た後、私は、50平方メートルの新しい家で、やりたいことをあれこれ現実化してみた。
(植物育成にも狂い始めた!)
で、やっぱりひとと暮らしたいと思った。
だいすきなパートナーと暮らしてみたい。
それってどういう感じだろう。
私はたまたまヘテロで、たまたまヘテロに対しての措置が(良くも悪くも)あれこれあるニッポンに暮らしていたから、誰かと暮らそうと私が思えたなら、どうせなら流れに乗ってみようと、結婚を考えた。
結婚相談所に行った。
結婚相談所は、面白かった。
私はどう生きていきたいのか?
私はどういうときに幸せを感じるのか?
ひとと暮らすとはどういう幸せか?
共に生きていくとはどんなか?
それなら共に生きるパートナーとはどんなひとなのか?
諸々諸々
・・・
とにかくとにかく!
私はどうしたときに幸せを感じるの?
どう生きたいの?
それならどんな人と生きているかしら?
そういう問いかけでいっぱいだった。というか、それしかない。
私の計画なんか捨てようとおもった。
私の計画の中にはきっと無い。
それをご縁というだろう。
ただひたすら、私はどう幸せを感じるだろうか?
それをとにかくアウトプットした。
そして私の幸せをリアルの場で手助けしたくて仕方のない仲人さんへ、アウトプットした。
そして、仲人さんと協力して、全世界に、アウトプットしたのだ。したのだ!
こういう幸せを生きている私、生きたい、生きようと思ってる私と、幸せになりたい男のひと、いませんか?と。
それを表現してみたら、それぞれの幸せを生きようと一歩踏み出している何百人もの男性たちがいる場所へ出ることができた。
そして、マンション物件と同じく(!)、2件目のお見合いで、彼と出会いました。
あれこれするするととんとん拍子に進んだ。
笑っちゃうくらい、私の予想した幸せなんか屁みたいなもので、幸せって、もっともっとあった。
予想もしないような幸せに出会うと、慣れてないから、もっと安全にしようと、危険を探して不安になったり怖くなっちゃったりする。
だから、ものすごく幸せになっちゃうもんだから、家を買うときよりもずっとずっと怖くって怖くって怖くって、ドキドキして、手に汗かいてた。
怖い怖いという私をぎゅうぎゅう抱きしめて、いろんな人に話しまくって、更に私をぎゅうぎゅうした。
現実の彼の顔をみた。
現実って、すごい。
どっこも危険とか不安になる要素がない今地点に戻る。と、彼の顔を見るとわかった。
彼の顔を見ては、「二人のこと、二人のこと」「私は私。彼は彼。」と、現実のこの今現在地点に戻ってくる私を感じる。
私が、一人でやる、になってたら、彼にも、一人でやる、をしょわせちゃうのかもなぁ。
私が「一人でやらない」なら、彼ももちろんそう。
私にもあるように、彼にも彼の、「二人のこと、二人のこと」「俺は俺。彼女は彼女。」があり、「一人でやらない」のご縁があるのだ。
彼と出会ってから、「一人でやらない」が、リアルバージョンで、一瞬一瞬に、ある。あります。
笑っちゃうくらい、幸せって私の予想なんか余裕でぶっ超えて、たくさん、あった。
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以前に感じた、「一人でやらない」の意味は、どんどん広くなった。
「私が決める」は、もっともっと、「一人でやらない」だし、更に、自由で、楽で、身軽なもんなのかもしれない。と、思う。今。
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