朗読会を開催しました。
ご感想をいただきました。嬉しいぃ。
いらしてくださった上に、ご感想まで、どうもありがとうございます!
きよちゃんこと、Kです。
小さいころは「きよちゃん」と呼ばれていたこともあったなぁと、思い出しました。
大好きな父からは「ちゅーちゃん」って呼ばれてたなぁ。
ようこちゃん
今回は素敵な朗読会をありがとうございました。
とてもとても感情的な朗読会でした。
たんたんと朗読しつつも、その言葉遣いに深さがあって。
ところどころ、ようこちゃんの深さについて行けない私もいたりして。
でもそんな世界にも私も参加できたことが嬉しいです。
ようこちゃんが沢山の時間をかけて自分と向き合っていたことをこの日私は知りました。
どれだけの苦痛とか涙とかを感じながら進んだのだろう?
どれだけ打ちひしがれたのだろう?
それでも今あの笑顔がようこちゃんがしていることの壮大さを感じました。
私がチャットで質問をしました。
「ボールは待っていればいいのですか?」
(*やまだ注*後ほど説明します)
幸せのチャンスは待っていればくるのですか?というニュアンスで私は質問しました。
ようこちゃんは「それはまだ受け取る準備ができていない」
「受け取るということを許していないのでは?」と答えてくれました。
正直、グサッときました。
私はまだ幸せを得る準備もできていなかったのか・・・と。
でも、ようこちゃんがやってきたように沢山自分と向き合う。
「私はどうしたい?」
「私は何がしたい?」
「私はどうなりたい?」
それを自分に聞いてあげつづけることが大切なんだとわかりました。
魔法はないね。
魔法の杖はあるけど。
魔法はないね。
魔法の杖を使えるようになるにはホグワーツに入らないとね。
杖を持っても魔法は使えるわけじゃないね。
ようこちゃん。
ありがとうございました。
何度か喉がぐっ~~となって泣きそうになりました。
でも泣かないようにしてた、私。
泣いたらお話がきけなくなると思ったから。
かわいそうな自分におぼれてそれで終わりになりそうだったから。
Kさん!どうもありがとうございます!
なんだかこみあげてくるものを感じてくださったなんて・・!
こみあげてくるものは、なんだったのでしょうね。
少しは解放されていたなら、いいな。
文面からは削除しましたが、Kさんは、独自の楽しみを常に切り開いている方です。
そしてそれを、お子さんや、心を開いた方には見せてくださる方。
わたしとよく似たシャイな方です。
(わたしもシャイなんですよ・・。)
お子さんや、家族を、とっても大きく守る覚悟のある方。
そういうデカい方が、ご自身の幸せには、弱気をみせるのですよね。
ですので、わたしもついつい、
「あなたはそんな小さい方じゃないでしょ?」
と、親密感を出して、きついかもしれない言い方をしてしまいましたよ~。
きつく聞こえてたら、ごめんなさい!
つい^^
さてさて。質問タイムにあったこれ、
私がチャットで質問をしました。
「ボールは待っていればいいのですか?」
(*やまだ注*後ほど説明します)
幸せのチャンスは待っていればくるのですか?というニュアンスで私は質問しました。
ようこちゃんは「それはまだ受け取る準備ができていない」
「受け取るということを許していないのでは?」と答えてくれました。
この部分へ、少々説明したいと思います。
わたしは、
「幸せのチャンスは、いつだって降り注いでいますよ。」
という話しをしました。
それを、待つ、ということは、
「わたしは、絶対に、幸せになる」
と、腹を括る必要が有るかと思うのです。
ね?
「幸せのチャンスはいつだって降り注いでいる」
それをきいて、
「わたしには見えてない!わたしがだめなんだ!」
そんな前提がありませんか?
ぜんぶ、いっこいっこ、その前提を持っているじぶんへ、瞬間瞬間に、許可を出す。ゆるす。前提を持ち直す。
「そもそもゆるされているらしい。罪がある、という前提が、そもそも間違いなら?」
そう問うことを、じぶんに許しましょう。
幸せになる意欲を持つことを、持っていることを、じぶんに許可を出しましょうね~。
待つ、ということは、いっけん受け身に見えます。
なにもしていないように見えます。
しかし、けして受け身ではない。
ものすごーーーく、積極的なものなのです。
「わたしは幸せになる」
ということに、腹を括り続ける、という積極性が必要です。
ね。
今日泣きましたか?
泣いた自分に、「ああ。辛かったね」「そこまで頑張れるなんてすごいよ。」と声を掛けましたか?
じぶんに優しくしていい、と、許可を出せましたか?
やさしく抱きしめられましたか?
嫌なことを、嫌と伝えられましたか?
好きなことを、好きと伝えられましたか?
伝えられなかったじぶんを嫌いませんでしたか?
簡単なところから、取り掛かれましたか?
いきなりむつかしいところから取り掛かろうとしているじぶんがいませんでしたか?
簡単なところを取り掛かれたじぶんを、見つけられましたか?
事実と考えと感情を、分けていますか?
どんなときも、落ち着いていい、平和でもいい、幸せを感じてもいい、と許可は出ていますか?
許可できないじぶんいじめばかり、していませんか?
そのできないじぶんに、優しいですか?
機嫌よく生きていますか?
楽しんでますか?
機嫌よく生きていい、楽しんでいい、と、許可が出せていますか?
悲しむじぶんを、ごきげんになれるまで、労われましたか?
「いつだって幸せのボールがきている」
ということに、怒りはありませんか?
「わたしにはない!」
「わたしは未だ見えてない!」
そのじぶんに、
「いつも来てるらしいよ~。あるらしいよ~。知りたいね~?すごいね~?お、今これじゃん?」
と、じぶんに声掛けられていますか?思えてますか?
思えてないじぶんに、怒りはありませんか?
あんがい、「この場面ではわたし、幸せになることを許しているな・・」
なんてものも、ありませんか?
すでに受け取れているボールについては、無視してたりしませんか?
無いことにしていたり、しませんか?
「幸せのボール」とやらが、なにやら大きな、「今、自分に無いもの」という価値観を、持っていませんか?
・・・
ね?
待つ、って、むっちゃ忙しいでしょ?
真実の男性性の世界なんですよ~。
と、いうお話し。^^
わたしもやりました、いろいろやらかしました、そしてむつかしかったです!笑
現在進行形です!
いっしょにやっていきましょ♡
朗読会にいらしてくださり、お付き合いくださり、どうもありがとうございました!
ご感想も、どうもありがとうございました!
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