植物。
植物。
私は、何故植物が必要だったんだろうなぁって、ずっと考えてます。
この関係性はなんなんだろう。
いろいろ考えたんですけれど、私に必要だったのは、植物たちの持つ、この重量。
重さ。
土や水の重さ。
いや、いろいろ考えたんですよ、いろいろ。
育てる楽しみを見出したのか?
芽が出るのが喜ばしいのか?
育てる間の、虫は殺すけど植物は生かす矛盾と出会いたかったのか?
「グリーンのある生活」のような、インテリア類といっしょなのか?
おしゃれ空間欲しいのか?
おしゃれは欲しいには欲しいけど、まあ、それで言ったら、モノは無いほうが好きだ。
それに、「グリーンのある」何かみたいなものとも、どこか違う。
「グリーンのある」感のような余裕が見られない。
必死さがどうもある気がする。
それに、もし私が路地裏に住んでたら、トロ箱で育てただろうという気がする。
(トロ箱、関東用語でしょうか?あのでっかい魚を市場でやり取りしてた発泡スチロールの箱です。)
諸々、考えてみたんですけど、「重量」っていうのが、ぴったしきました。
それなら、培養土とバケツの水で良いんじゃないか?
そうも思いましたけれども、どうも違うらしい。
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彼ら(彼女ら)(植物)は、無意識のみで生きている。
ただそういう生き物が、家に、居る。
そして、植物たちを、私の家のど真ん中に位置させる私、が居る。
この重量、重みが家に必要だったのか。
「家」にするのにあたって、この重量がどうして必要だったんだろうなぁって、考えてます。
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植物は、歩かないんです。
でも、ただ生きてるだけで、環境の方を変えていきます。
アスファルトを壊したり、砂漠の緑化で雨を降らしたりしますよね。
もちろん、皆さんがご存知の通りです。
しかし、我が家で言ったなら、どんなふうにでしょう。
植物が居るので、私は、
換気をよくするために、窓を開けました。
扇風機を買いました。
水やりがいつでもできるように、台所のシンクを毎日綺麗にするようになりました。
シュウ酸多め(サトイモ科が多いのです)なので、こまめに手を洗うようになりました。
直射日光を好まない植物たちですので(観葉植物はほぼ苗です。熱帯雨林でも苗は大きい木やなんかの下で守られているでしょう?)、屋内よりも日陰といっても明るい屋外が好きな植物たちをベランダに出すようになって、私もベランダに出る機会が増えました。
植物たちの生まれ故郷の勉強をするようになって、私は、熱帯雨林、亜熱帯、サバンナ、温帯地域の草原・湿地・森林の、朝昼晩の気温や天気なんかを想像する時間を持つようになりました。
植物たちの、この影響力。
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そして、観葉しているはずなのですが、私の想像の方は、常に根っこなんです。
土中の見えてないところを、毎日ひと鉢ひと鉢、想像する。
見えている茎葉芽から、根っこが育っている、見えているところから、見えてないところの成長を見つめ続ける。
そこも、「ただ重量が必要だったようだ」というところと似通っている気がします。
あはは。
ぜんぜんうまくいえない。
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去年の秋に引っ越しをし、荷物の4分の3を、私は処分しました。
その空いたところに、植物。
まさかの植物でした。
ちいさいものを愛でる趣味がそもそもなかった私です。
もちろん、生き物を育てることもあまりなかったです。
コレクターとしての素質も無いと思います。
おもってもないものがやってきたなぁ、と、毎日植物を見ては、びっくりしています。
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