某家電量販店の紙袋のデザインのようにこころがなった話し。

こんにちは。
やまだようこです。

起きたら日も高く、東京は34度です。

気晴らしと暑さの体感のために、コンビニエンスストアまで、アイスコーヒーを買いに出ました。

アパートから出たら、正面の一軒家のお家へ、ヤモリがピロピロと入っていくのが見え、かわいくて、あのお家を守るなんて、すてきと、ニコニコしてたら、玄関からお向かいさんが出てきたので、そのまんま伝えてたら、お向かいさんたら、照れてニコニコしてて、えへえへする二人でした。

通りすがりの斜め前のお向かいさんは、「何?これから歩きに行くの?」とお声がけくださり、いえいえ暑さが危険なので、コンビニエンスストアですよーなんて喋ってました。
年配のおねえさんですが、白い髪の毛をいつもきれいなスッキリショートで、エプロンと口紅の色がぴったりの明るいピンクで、首に巻く緑のタオルまで、トーンが綺麗で、いつもお花が咲いてるようなおねえさんです。

「ああ。今日も素敵です♡」
なんて、お喋りして、
「何言ってんのよ。笑。気ぃ付けて行くんだよ」
て、言ってもらいながら、私はニコニコ、コンビニエンスストアへ行って帰ってきました。

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まぁ、そんな今日始まり。

いえね、でも今日は、私の身体全体が、某家電量販店の紙袋のデザインみたいになった話しを書きますよ。

 

私の身体全体が、某家電量販店の紙袋のデザインみたいになった話し

 

母からの贈り物がありました。
たっぷりのお野菜です。

今の私の生活の現状は、長い一人暮らしなりに、あれこれ計画し、努力の成果の出てきた台所、とくらいに認識しててくださいませ。

私は私のために健康生活を与えようと心掛け、生協に入り、
先週のお魚お刺身肉類が冷凍庫に入っておる。
今日明日のご馳走である。一人暮らしには生協はとても贅沢品。
ピカピカのお野菜。
お野菜とその作り置きもたっぷり入り冷蔵庫もいい感じだ。
そして作り置きの冷凍できるぶんは冷凍してあり、
以前に母からいただきましたベーコンも燻製も冷凍庫にみっしり入り、
そして明後日は、
注文済みの次回の生協がやってくる。
そのぶんが明後日までに冷蔵庫に入るように計画済みである。
一人暮らしの冷蔵庫は小さい。
一週間ぶん、ぴったり。ナイス注文量、私。
そして明後日ぶんがちょっと余分なくらいだ。
生鮮食品が多いからそれでよし。
夏場は熱い一人暮らしの台所だからあれこれ全部冷蔵庫に。

上記は、一人暮らしの台所の典型例と申せましょう。
読まずともだいじょぶ。
一人暮らしなりに、あれこれ計画し、努力の成果の出てきた台所、とくらいに認識しててくださいませ。

ええ。
そんな台所へ、母は、お送りくださったのです。
野菜を。

私の身体も心も、某家電量販店の紙袋のデザインのようになりました。

ああ、下記細かい字は、読まなくていいです。
きっと、4スクロールくらいだと思います。スクロールしちゃってくださいね。

お母さん畑作ってるもんなぁ。ヘタとか取ったりすぐに食べられるようにしてくれてんだなぁ。微妙に加工されてたら冷蔵冷凍庫外で保管はこの暑さでは持たないんだよその想像力が母には無いんだよな。そりゃ無いよな私ら家族を食わすための大家族の冷蔵庫しか持ってない生活だもんなぁ。冷蔵冷凍庫の端っこにちょっぴり入れられて便利♪なように気遣ってくれてんだよなぁ。私の冷蔵庫の想像力はあそりゃ無いよなぁ。私の努力は見えてないんだよなぁ。台所は私の生活生命の基本なんだよなぁ。私の日々の健康生活を送ろうとする努力は見えてないんだよなぁ。先週のお魚のお刺身を今日楽しみにしてた私のささやかなだけど大きい幸せは見えてないんだよなぁ。一人暮らしで飢えてる可愛そうなようこちゃんしか見えてないんだよなぁわかってる。娘としての理解して欲しいコミュニケーションして欲しいという期待もある。これが近所の人ならここまで苛つかない。それか母を投影し同じことか?なんでもいい、イラつくわぜんぜん想像力が無いじぶんを認識できてたらコミュニケーションを図る努力をするだろうしそれができないなら全く今現在の私を見る努力は無いんだよなぁ。その前提の無さって母としての愛情に自身が無いんだよなぁあのひとは。ああ私のピカピカのお野菜。どう始末しようか。腐り果てるんだろうか。どれもこれももうコントロールが効かないこの物量よこれを食えというのか?また母のコントロール下なのか。私もう一人暮らし歴15年よ?それなりにやってるんだよ?なんも見えてないのは何故?しかも突然年に数回の贈り物でじゃあリクエストをとかしてみたところで私の望みは全て無視されるだけという諦めとそれならやっぱり自分の愛を与えられているという満足感独りよがりだけで生きてる人なんだよなぁというかそれが出来る能力が無いだけというところに私は諦めだけでなくだいぶ頭の理解じゃなくて心の理解で入ってくるようになったんだなぁ。私成長したなぁ。あれだけしっかりお恨み帳書けたもんなぁ私偉いなぁ成長したなぁ。ああ冷蔵庫はパンパンだ真夏の麦茶を冷やすスペースもないあの人はいったいほんとに私の何を見てるんだちくしょう。息の根を止めてやりたいああ控え目な表現だ。冷凍庫もパンパンだ。氷を凍らすスペースも無い。私のこの夏の楽しみにしていた珈琲氷とか最近覚えたコンビニアイスとかの入れ場所も無い。殺意が芽生えるなぁ。しっかり殺意を表現しようぅ。だいじょぶようこは母を愛しに生まれてきたのは間違いないし愛したし愛してるからこその愛憎渦巻く状況なのだから安心してしっかり殺意を表現しようぶつけたら自己嫌悪するから丁度良く人参を細かく切り刻もう自信を持てようこカレー何倍ぶんだろうというかカレー作って冷凍しようにも冷凍庫はパンパンだ。殺意だねぇ。家庭菜園て、一種類が膨大だね。べ物の恨みは怖いよねぇ。恨むは。私はじきに引っ越しの予定を立ててるんだよ何故いつものことながら送る前に私に必要かを連絡しないのか?ああこれはまた最初に戻っているなぁ私とコミュニケーションは取れないのだとる能力が無いのだ。何度も何度も私の生涯で試みた。愛を与えたいあの人の気持ちとあの人のやり方に沿わせようとどれだけ私が努力したことかそして結局「それいらない」とか不満を言われるのだ「あんたじゃない」と。だからつくづく理解したのだ私は。この人の望みは腹の中の赤ん坊なのだと。お母さんもうそれはもう完了したからとそれも伝わることはないのも重々承知だ。いいのだ。これで。私はもうただここでしっかり当時の私の見てもらえ無さから得た悲しみや何重にも重なった怒りと悲しみをただ家で表現しよう。私はもう私は愛した自信があるだろう?人参刻め。怒れ。たまねぎもある。刻め。煮るのだ炒めるのだ。ああ熱い。氷は無い。イラつくわ。刻め。刻め。刻め。しかし引っ越しを控えておる。ここはとりあえず「もう送ってくれるな」と言う。だいじょぶ。二三ヶ月もしたら母は忘れているだからとりあえずそれでいい。引越し後に引っ越ししたからと伝えればまたケロリとしている。単純な言葉でいいからそれだけ伝えよう。その方がいいああ。くそ。この伝わらなさ、見てもらえ無い感触。そりゃもう今の私の今現在の人間関係で好きな人たちへ反映されている。高齢の母が次の瞬間死んだらどうしよう。その後私は後悔するのだろうかああ!するね!後悔してなんぼじゃ。あたしゃそれでいい。あたしはお前の腹を選んで生まれてきただけで、お前を全肯定した。その後生まれただけでも全肯定した。後悔するときゃその時に考える。それでいい。そういうのもひっくるめてお前を引きずって生きてるのも縁だちくしょう。そうそう。「畜生」って罵り文句も仏教用語で気に入ってる。ちくしょう。そして私は母にそっくりである。じぶんのやり方にこだわる。この大好きな人へ愛を伝えてはうまく行かないと勝手に嘆き悲しむのも同じだ。ああ。そっくり。でももういい。私は私の愛してきた愛に自信を持っていいから言う「もう送ってくれるな」と。とりあえず玉葱刻むのだ。ああ。そうそう、懐かしいねこの諦めの感覚・無感動・気力が全て奪われるこの無気力さ。これぞ無意識でやってる怒りの反射もっと怒りらしく表現しやがれようこ。そこは怒りの呼吸だ、ようこ。怒りの呼吸。もっと怒れ。しっかり怒れ。怒りらしくしっかりとだ。それはじぶんを愛することだともう知ってるはずだ。鍋に何杯のカレーになることだろう。だからドライカレーだ。こういうときはドライカレー。それも母のレシピな気がする。そうそう。ご縁だよな。いいとおもう。いかれ、ようこ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い母が憎けりゃ野菜まで憎い。カレーだな。カレー。

 

まあこんな感じで、私の身体とこころは、
某家電量販店の紙袋のデザインのようになりました。

(あのデザインは素敵です。好きです。こんなふうに持ち込んでごめんなさい。)

怒りも感謝も理解され無さも積年の恨みもごちゃまぜに。
ぐちゃまぜている状況です。

控え目に言っても、ガチ切れですかね。

(去年の私だったら、もっと母と癒着してたので、書くまでに罪悪感とかが自身への怒りとして感じてたので、書けなかったと思います。今の私、すごい。よく書いた!よく書けるようになった!)

 

私が、思考で諸々怒りを感じないように自立し、自らを守ろうとし、頑張って生きてきたからこう、ぐちゃまぜになってしまうわけです。
人生かけてこれを紐解いて行くわけですが、ここでは、ひとことで言えば、怒りを解放することがメインです。
とてもこれだいじ。

しっかり暴れましたよ。
そうしようって、クライアントさまたちにもしつこくしつこくご提案差し上げていますのは、怒りを怒りで切って(やたら無気力になって)いく生き方をしてきた私の結論です。

教科書では、
・各種感情は、層になっている。
・その層の間に怒り(観念や思考という形にすり替わってることも多い)が挟まっている。
・怒りの感情も怒り(観念や思考)で切っていく。
と、教わりました。(たぶんだいたいそんな感じ)

私も実際クライアントさんには、そう説明してますが、私のリアル体験から申しますと、上記のような某家電量販店の紙袋のデザインみたいに、

瞬間瞬間に各種入り乱れている。

という感じです。

だから、綺麗にやろうとしないでください。

私のように、髪振り乱して、叫びながら、鍋いっぱいに野菜刻んで、怒りの呼吸で、怒りましょう。
(これは比喩ではないです。)
人によって、皿を割り続けたり、カラオケ行ったり、走ったりするようですね。

落ち着いてきたら(というか、体力的に疲れてきたらですね。ここでは、考えすぎて頭が疲れたなどは入れちゃいけません。思考の疲れを思考で癒やすとか歴史に残るような哲学者でも無い限り難しいかもしれないです)、問い掛けも入れてみましょう。

「私は、母に、何してほしかったの?」
「私は、母から、何が欲しかったの?」
「私は、母に、どうして欲しかったの?」

(主語を丁寧に「私は」にするだけでも、中々答えが出なくても効果があります。ここの主語が「母は私に」となっていること、ありません?そうすると罪悪感ばかりか、延々と相手の事情だけを思考することになるかもしれません。)

欲しい欲しい欲しいが出てくるかもしれませんが、それについて全く出てこない人の方が危険です。
気付かないくらい、観念もしくは、他人を優先する癖、我慢する癖、諦めという怒りの変形パターンで蓋をしてるかもしれません。

ニンゲンなので、じぶんの欲しい欲しいは出てくるし、そこにヒントがある。

「母は、私のことはぜんぜん見てくれない!!」
という怒りがあるなら、
「私は、母に私を見て欲しかった」
「私は、母に今の私を認めて欲しかった」
「私は、母に今の私を理解して欲しかった」
と、言語化をしてみます。

この欲しい(ニーズ)には、必ず願いが在るから。

現在のパートナーや、近しい人へ感じているパターンもあるから。

その私自身の過去の消化していなかった悲しみや寂しさの気持ちから、自身の優しさに、必ず、繋がるから。

「私は、母に、今の私を見てもらえなくて、とても悲しかった。」
「私は、母に、今の私を見てもらえなくて、とても寂しかった。」
「私は、母に、どう願いを言っても、伝わらなくて悲しかった。」

大袈裟に言うのがキモです。

声に出していうのもキモです。
キモいじゃなくて、キモです。

そして、その気持ちのあいだあいだに、また湧き出てきたなら、某家電量販店の紙袋のデザイン状況を挟み込むのがキモです。

綺麗にやろうとしないでください。

「なんで、そんなに、母に見てもらいたかったの?」
「なんで、そんなに、母に今の私を見てもらいたかったの?」
「なんで、そんなに、母に今の私を認めてもらいたかったの?」

だって!
お母さんが大好きだったから。
お母さんが、私の世界だったから。

 

ええ、もちろん、この行というか単語のあいだあいだに、某家電量販店の紙袋のデザインが、湧いてきます。挟み込まれます。
それでいいんです。
というか、それが!いいんです。

まだら怒り、まだら理解、まだら許し、まだら手放し、の、某家電量販店の紙袋のデザイン状況を、やってます、私。
玉葱刻むのに取り掛かるのは怒り、カレー食ってるときは、ありがとう!、腹が減って、また玉葱見たときは、怒り。
まだらでいい。
まだらが、いい。

そして、それをスッキリというか、さ、遊ぼーって、ぽやっと忘れるくらいまで、お腹空いたーってなるまで、繰り返します。

上手くできなかったとか、じぶんを責めることもない。
いつか、すんなり解放できるじぶんになりますように。と。

この最後の、「だって!~」は、棒読みでぜんぜんOKだと思います。
むしろこの最後の部分で、某家電量販店の紙袋のデザイン状態が、空白になる人は、やらないほうがいいと思います。
我慢が反射になってるひと、の可能性が高いです。(去年の私。)

何かしら、なんでもいいんです。
身体と心が、某家電量販店の紙袋のデザイン状況に、じぶんがなっている、と認めるのが、まず勇気入りますよねー。
認めて取り掛かるのも、勇気いる。

私には、勇気いりました。
でも何度も何度も、諦めないで挑戦してみました。
今も挑戦中です。
じきにじぶんの変化に気付くと、成果の大きさが凄かった。

だから、某家電量販店の紙袋デザイン状態をちらりと感じたら、マメにやってます。
個人セッションだと、この観念やらなんやらに触れるまでもあれこれあるので、ゆっくり見てまいりましょう。
気長に。

現実の母にぶつけても、ぶつけた罪悪感に苦しみますが、漏れちゃったときは、仕方ない。

それはそれで、現実を生きてる感を味わいましょう。

ちなみに、元気無いときは、ゲームでもしたほうがいいですよ。無理してやらないでね!

え?私の現実の母に対してどうしたって?
私は、現実なりの現実的な対処をしましたよ。

某家電量販店の紙袋デザイン状態の感情は、ほぼほぼ、私が小さい頃に溜め込んだ諸々で、今のリアル母とは関係ないですしね。

そうそう、昔の感情と、今の私の感情を、怒りを解放することで、区分けてあげることは、「今の私。大人の私。」を肯定してあげることにも繋がって、ちょっとずつ、じぶんを信じられるようになったりしますよ。

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そんな私ですが、母にいつも言いたいひとことをいうならば、

 

あたしゃ、あんたの腹を選んで生まれてきた!

それだけでもう既にあんたを全肯定。

いい加減、自信持て!母!

そこであんたと私の役割は終えたのだ。

そして、もう娘息子は、あんたの腹には還らんのだ。

それでいいのだ。
それが、いいのだ。

と。

翻って、私自身へのことばでもあるようです。

生まれてきただけで、母にとっても、私自身もOKだと。

・・・さ、鍋2杯目のカレー作ろーっと。

 


 

やまだようこのプロフィールはこちら。

やまだようこの生きざまを、作家の大嵜直人さんに綴っていただいたものは、こちら。

やまだようこへメッセージはこちら。

母との癒着切りに腰を据えて取り組みたい。という方には、
やまだようこの2020年8月の個人セッションはこちら。

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[ 某家電量販店の紙袋のデザインのようにこころがなった話し。 ]日々のこと。2020/08/16 15:22