10年以上前、30歳くらいのとき。私がパワハラをしていた頃。
当時は、パワハラって言葉もなかったかもしれない。
前職の会社で、私がはじめてもった部下に教えているうちに、どんどん私のパワハラはひどくなった。
(この以下の文章は、パワーハラスメントを肯定しているものではありません。どんな場合であってもパワーハラスメントは許されるものでは無いし、刑法に関わるものを「嫌がらせ」のひと言へくくるつもりもありません。以下は、一人の人間が生きている記録の一部として書きました。)
そのうち、私は上司のいないときに、部下へ、断裁機で手を挟むような脅しまでするような、それはひどいものだった。
今でも、あの時あの部下だった人へは、ほんとうに、ごめんなさいと、思っています。
ごめんなさい。
その当時、私は、自身の思い通りにいかない惨めさを、正しさで隠したかった。
惨めで、それをどうしてあなたたちはどうもしてくれないのか、という怒りでいっぱいだった。
思い通りにいかない、あなた方のせいだとひたすら不満である自分の浅ましさが、嫌いで嫌いでしかたがなかった。
そんな状況のなかで、私の正しさの主張へ、正しさで返すことをしなかった私の直属の上司は賢かった。
何度も話し合いの場を設けてくれた。
正しさでどうにもならない状況を、一人の人間として理解しようとしてくれていたように感じた。
でも、私は正しさをひたすら主張し続けるだけだった。
自身の惨めさを感じるくらいなら、見つかるくらいなら、正しさを主張し続けて、一人でいるほうが、悪い人間でいるほうが、マシなように感じてた。
何度もあった話し合いの場で、ある日、上司はぽつりと言った。
「それくらい、山田さんが怒ったりするのは、それだけ、仕事のことを一生懸命やろうとしてくれているからなんだよな」
何をどう言われても、正しさの主張一点張りだった私は、そこで何かが、ふっと緩んだ。
それからは、その前に比べたら、少しずつだけど、激しく怒ったりすることは少なくなったと思う。
あれは良くない状況だった。
あのとき、この上司がこう向き合ってくれていなかったら、と思うと、今考えても、ぞっとする。
ほんとうに、ほんとうに、私はたまたま運よく、こういう風に助けてもらってなんとか生きてる。
有り難いです。
助けてもらって、生きてます。
助けてくれて、どうもありがとうございます。
23:12 2019/11/15
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