今ここ。

2019年10月18日イベント, ライフワークストーリー, わたしのこと。

9/14(土)東京・神楽坂カウンセリング体験会へ出店いたします 。
(残席1になりました)
いらして下さる方々へ感謝いたします。

==

9/14(土)東京・神楽坂「ココロノマルシェ カウンセリング体験会」
>>詳細はこちら。
>>入場申込はこちら。
>>やまだようこの予約枠はこちら。

==
仲間のカウンセラーさんにご紹介いただきました。どうもありがとうございます。
村松勇雄カウンセラーより。
ふぁーこカウンセラーより。
サトヒ(モリサトヒトミ)カウンセラーより。
まみこカウンセラーより。

==

先日、名刺を作った。
このブログの写真に私の名前が溶け込むような名刺にした。
お気に入りのこのブログの写真は、私の職場の近くの毎年たわわに咲く、八重桜。
八重桜は、枝と葉っぱと花が存分にある、「存分にある」て感じが好きで、毎年写真を撮ってた。
ブログを開いたときに、誰よりも私がいちばんいい気分になるのが、とても好き。

新しい、ノートカバーを購入した。
私はアンティークアクセサリーや、アンティーク、アンティーク調のものが好き。
庭園美術館も好き。
でも、何よりも、実用するものが好きで、今の生活にどう入れたらいいのか未だわからないから、購入をためらうもののひとつだった。
でも、このノートカバーは、ビニールに印刷されていて、でもきちんと発色している点で、実用とともに満足していた。
ノートは、いつも持ち歩くもの。
うきうきして嬉しかった。

==

そういえば、と、私のライフワークストーリーの家の間取りを思い出してた。

ライフワークストーリーって、もしもこういうふうに自分が生きていたら最高に幸せ。という自分をストーリーとして描くことで、その気分や、そのストーリーの端々の現実を、「今既に生きる」ために作るもの。

それを細部まで作り込むために、
「私がライフワークを生きているとしたら、どんな家に住んでいると思う?」
という問いの元に描く家の間取りのこと。

何か、モノを持つことには、あんまりピンとこない私だけれど、とりあえず浮かぶものを全て詰め込んでみた家だった。
むしろいらないものを全て削除した結果残ったものだったとおもう。

私は、こんな感じだった。

==

高低の差の出した庭で、小さい畑、実のなる木、小さい草の丈の低いちょっとだけ広いところ、花々。でも木になる花が好き。
そこには八重桜もあって、桃とか梅とか、洋風でも和風でもなく、なんだか緑っぽい、枝っぽい、庭。
軽い椅子を持ち出して、思い思いにお茶を飲むような庭。
日本の茶碗も取っ手のないカフェオレボウルみたいな茶碗も、なんだか花柄のアンティークの茶碗もあるようなお茶。
でも飲むのは麦茶だったりね。

小さい家は、軒が深く平屋で縁側のある家。
軒が深いのが、だいじだった。
モノの少ない家で、特に縁側に面した部屋は、お茶碗の乗ってるお盆くらいしか、モノがでていないような家。
あと、座布団。
思い思いに寝転ぶように。

そこへ、ひとが、ぶらりとくるような。
「今はこの花の季節」
とかって。

==

名刺とノートとノートカバーを交互に見てたら、不思議なことに、このライフワークストーリーの家の間取り、その現場が今ここにある、って、思ったんだ。

名刺の写真とノートカバーをみんなに見てもらって、あのノートカバーの中身がこのブログの中身になってて、それをシェアしている、この今。

そして、あと数日後には、あの名刺は、誰かの手へ贈られるんだ。
受け取ってくれるひとが、居るんだ。

あの名刺の表は、この八重桜の木のあちこちを切り取っていて、裏面は、それぞれ違う言葉が印刷されている。
「そのときの誰かへ何かが届きますように」
そんな、誰かの一瞬と交わりたいカード形式。
誰かの一瞬なんて、なんて貴重なものなんだろう、という、私の想いが込められた、かたち。

私のライフワークストーリーの家の、必要な、だいじな要素がぜんぶ、今ここにあった。

うまくいえないけど、なんだかそうだったみたい。

夢の現場だった。
「今 」 が。
私の欲しいものは、私の望む家は具体的なモノとしての家じゃなかったんだ。
私の望みの現場だった。
今、ここが。

びっくりした。
現実が、追いついてた。
今ここに。

==

関わって下さる方々、関わってくださっている方々に、感謝します。

どうもありがとうございます。