心音。
大きな黒い黒い黒大理石を立てて、一面に薄く高速に水を流した面を、水平に置いたかなのような音をみたのは、ほかのクリスタルボウルが、鳴り始めたからだった。
薄い高速の流れの面に、指を入れてみたら、やっと水が、水の流れがあるのが見えるかのように。
ああ。
心音があったんだ。
わたしの心音。
常に常に聴き続けていて、自らが聴こえているとすら思わない音。
わたしは、ここに、いるんだ。
そうやって、一年前の札幌でのクリスタルボウルは、そのときのわたしを動かした。
その薄い高速の水平面へ、すっと入れた指一本は、じきに何本も何本もにもなり、ときには手のひらが、ざっと触れるかのような、波を立てさせるほかのクリスタルボウル。
何度も何度も、全く異質ではなく触れてくる、その心音を、その流れを気付かせるほかのクリスタルボウルの手ざわり。
人のどこかの底の音へ触れるのは、いろんな言い方があるのかもしれないけど。
わたしの場合は、心音だった。
わたしの心音なのか。
わたしの何かへ通底した心音だったのか。
それはまだわからないけど。
あの広くてツルツルの表面に流れる高速の薄い水は、確実にどこかの方向へ強く流れていた。
あの強さに怖れをなす感じは、ある。
怖かったのかもしれない。
あの感じは何だったろう。
軽井沢では、どんなクリスタルボウルと出逢うんだろう。