子育てをしたことが無い私の、私と子育て本の話し。

子育てをしたことが無い私の、私と子育て本の話し。

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私が、子育て本を読み漁っていたのは、私が30歳になろうかってころのお話しです。

その頃の私は、私の弟の借金を、「ようこにも責任がある」と、母に言われてました。
その母の言葉を聞いて、私は、「両親との暮らしは、もう無理だ」と、思いました。
私の中のなにかの糸が切れたように、私は感じていました。

今思えば、もっと昔から気づいても良かったことかもしれません。
その頃の私は、心理学は知らず、絵描きの夢がそろそろ挫折している時期でした。

社会人としても、何年か過ごしていたし、私の10代(もっと前からなのかは不明です)からのいろいろな怒りを、母へ伝えたところでどうなる?と、私は諦めていました。
でも当時の私はあまりに苦しく辛いので、とりあえず、「大人の私」として、「社会人の私」として、子育て真っ盛りだった頃の母を理解しようとしてみました。

たぶん、そこで子どもを育ててみよう、とチャレンジされる方もいらっしゃることとおもいます。
そして、そこで子どもを持ち、子どもを愛し、愛したぶんだけ葛藤し、そしてじぶんの母を理解されてきた方もいらっしゃるんだとおもいます。

私には、その発想がなくて(怖がりですもん)とりあえず、本を読みました。

それも、子育ての本でした。

今だったら、「「私の」苦しい気持ちの理由を、学べんでみたら?」
と、思いますが、当時の私には、母の理由しかなかったんです。

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いくつも読んだ子育て本の中で今も好きな本は、西原理恵子のまんがと、伊藤比呂美の詩とエッセイ本です。

私が今までたいせつにしてきたこの子育ての本たちは、もちろん、うんこうんこうんこのお話しと、リアルうんこのお話しです。
そして、女臭い。
男の話しも欠かさない。
生きるおんなの一部分として描かれる「母」。

どこまでも女臭いところが、とても好みです。
おんなの一生のたいせつな一部分として。

子どもたちが大きくなる過程で、そこへ過去のじぶんの傷を重ね合わせる姿もリアルに描いてます。

伊藤比呂美は、本人が詩人であり、鬱になり拒食を経た後の子育てでしたが、その子どもたち女3人が、じぶんそっくり鬱になり拒食になる姿へ、母親として女としてのその関わり方も描いています。
最高に繊細で、ダイナミック。だけど、笑いがある。
笑い、だいじ。
エッセイですが、どれも読み応えがあります。

たくさん笑えて、こんなふうに、母親は悩み、育ててくれていたのかと、感動しました。
伊藤比呂美のように、身近に笑え合えるような友人が、母にはいただろうか?と心を痛めました。
それに、一人の女性としての姿もみえました。
私は、あの頃の母へ、タイムマシンがあったら、この本を届けたいとおもったほどでした。
あの頃の母には、この本たちは、とても支えになったろうなって。
肩の力が抜けたろうなって。

私の社会人経験が、両親との関わり方を変えましたが、同様に、(読書ですが)一人のおんなとして母を見る方法も、母と子の見え方に変化を及ぼすと、(しつこいですけど読書ですが)学べることもあるんだなぁとびっくりした経験でした。

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それから10年経ち、今の40歳の私の話し。

最近まで、自信がなさすぎて、「大人の私」の経験と感情と理性まで、まるごと否定していました。
でも、ちょっとずつ、不完全な私を認めてみるようにしてみると、「大人の私」の経験と感情と理性を認めてみることができるようになりました。

不出来な私。
不完全な私。
無責任な私。
人に優しくできない私。

そんな自分のことを、「まあ、仕方ないよね~」と思いたい、と。

「自分を信じる」って、こういう感じかしら?
とも思います。

そうしてみると、「大人の私」の感情と理性を、信じられる、というか、不出来でもいっか、と思えたら、私の中にいる「子どもの私」は封印されてばっかりでなくても大丈夫になってきたみたいなんです。

私は今、私が置いてけぼりにしてしまった私の中の「子どもの私」を、見つめてみたい、受け入れてみたい、抱きしめてあげたい、とも思えるようになりました。

10代だけじゃないのかもしれないけど、その頃にいろいろと諦めてしまった、「当時の私」の気持ちは、手を変え品を変え、無意識に、現在の各種人間関係へ現れているような気がして。

感情は、封印しても、なくならないと心理学の学びでは教わりました。
今、ほんとにそうなのかもしれないなぁ、と思います。
「大人の私」を、私が育てる過程でも、私が受け容れられてこれた私の「子どもの私」もあるとは思うんですけども、なんだか「子供の私」が、またいろいろ悲鳴を上げて、「大人の私」もぐるんぐるん、してしまうんです。

私は、今の「大人の私」が、私の中の「子供の私」を理解したいなぁ。嫌いたくないなぁ愛したいなぁ、って、今、思ってます。
それって、今の私を信じてみようかな、わたしなりのやり方で、母を私を許して来た「私自身」を。って気持ちもあるからだと思うんです。

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私が30前後の頃のこの読書体験をこうやって書いてみて、今思ったことがあります。

「不完全な人間」「不完全なおんな」が人間を育てている姿を、私が笑って肯定出来たこの読書体験って、私の中の「子どもの私」を、私が受け入れられたところもあったのかもしれないなぁ、って、思いました。(読書も感情の経験のひとつだと私は思ってます)
理想の母像を、ちょっとは手放せた、とか。

そうそう。
それと、思い出したのは、この読書の過程で、だいぶ「おんなとしての私」も、私は受け容れられたんだったなぁ、ってことでした。
不完全なおんな、でいい。みたいな感じ。
読書で、ってところが、やっぱり私のかわいいところですね(^^)

また、「当時の」母を理解したい、なんて、それこそ私の母への愛だったんじゃないかって、今、気付いた。

30前後の頃の私も、よくやってたんだなぁって、思いました。

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良質な子育て本て、親をじぶんと同じひとりの人間として見る視点を与えてくれるものなんじゃないかなぁ。っておもうんです。あの頃の親もこういうことで悩んでたのかもなぁって。

私の場合は、母とのことが多かったので、母でしたが、どんな女性にも(娘でない女性はいませんもんね)、ひとりの女としての母を見る視点を与えるものなんじゃないかなぁって。

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まあ、ながながと書きましたが、こんな感じの子育て本好きとしては、師匠の子育て本が楽しみだなぁ。
って話しです。
子育て経験は無い私ですが、こういう視点でとっても楽しみにしていますー。

『子どもの将来は「親」の自己肯定感で決まる』(根本裕幸著・実務教育出版)

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