わたしの悲しさは、「どうにもできない」
そこから生まれたかもしれない。
かもしれない
と、書くのは、なぜだろう。
そもそも、それが「悲しい」なのかがわからないな、と思っているからかもしれない。
何か、じぶんに誤解があったかもしれない、ともおもうし、そのとき、そんなことおもったろうかという疑いもあるのかもしれない。
感情について、私に理解できることなんて、ほんとに、ちょっぴりしかない。
もし描くとしたら、そうかもしれないな、っていう前提で。
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私といっしょに暮していた叔母は、ある日倒れて、からだが不自由になった。
そして、リハビリをしなかった。
と、聞いている。
父の姉。
私が6歳かそこらのとき。
叔母は、いくつだろう。
40歳前かな。
もう40年近く前の話し。
からだの不自由な叔母と、5、6年くらいはそのまま一緒に暮らしていだような気がする。
いま、叔母は、施設で暮らしている。
会いに行く母は、毎回、
「今日もおばちゃんは言ってた、
「今がいちばん幸せだ」って」
母は、いろんな表情で、そう、伝える。
祖母の望みはなんだったろう。
叔母の望みは。
父の望みは。
母の。
誰とも、話し合ったことがない。
その経緯もすべて、夜中に酔った母が、なぜか私と二人きりになった時だけ、はなすのだ。
それも、なぜだったろう。
家族の。
なぜだかそうなっている、ふしぎのはなし。
=
わたしがじきにおもったのは、ぜんぶぜんぶ、日常へのみこまれることだった。
日常は恐ろしい。
全てを飲み込んで、なんだかそのままにする。
いや、もちろん。
父と母が全力で、建てて作って維持していた日常だった。
でも、わたしにあったのは、
「わからない」
わからないことが、いっぱいあったような気がする。
「わからない」
は、怒りの表現でもある、と教わったこともある。
そうかもしれない。
でも、私は、私の「わからない」を、ていねいに扱いたい。
なにか、納得できなかったんだとおもう。
どうしたら、納得していたんだろう。
それは、なんとなくだけど、ずっと持っている疑問符な気がする。
私は、どうしたら、納得していたんだろう?
私は、どうしていたら、納得し、満足しただろう?
その問いかけ。
今は、その問いかけばかりが残っているような気もする。